妖怪な記事

昔あった妖怪の記事を書いてくよ

怪物が馬ひと呑み

尻尾だけでも三十メートル!アメリカの砂漠で旅人に襲いかかる大イモリ。

 

米国(あめりか)の大漠(すなはら)中四方尽(かぎ)りなき広野に一の旅人馬に乗って、夕方宿屋のある方に火の光を目的(めあて)として駆ける時、忽ち尾の長き奇体の物、地上より突と起あらはれて変な声にて高く吼(ほゆ)るに、旅人は愕(びつく)りして戦(ふる)へ揚がると彼怪物(かのばけもの)は行成乗つたる馬を捉へんとするに馬は彼声を聞いて気絶したるが如く稍く心付き眼を開いて四方(あたり)を看廻し(みまは)し走らんとする時、乗手は驚きながら怖々此怪物を一目看るにその立廻りの迅(はや)き事常ならず、或ひは奔り或ひは匍匐(はらばひ)てその形半分は蛇の如く半分は獣の如き大きく肥たる虫なれば、旅人は馬に鞭を当遁去(あてにげさ)らんとするに、馬も跳(おど)り揚がり沙を蹴立馳(けだてかけ)たれど、始め毒気を吹かけられ終に途中に倒れしゆゑ旅人は乗捨て猶逃走るに彼怪物は馬を追蒐(をひかけ)その倒れたるを看て走るを止め遠くより窺ひて母猫の児猫と遊び戯むれるやうな形態(みぶり)をして玩弄(もてあそ)ぶその形象(かたち)をよくよく視るにさながら蜥蜴の体にて、延び上りたる高さは凡(およそ)八尺ばかり走る力らは全く尾にある如く尾は後へ曳く事一百尺に下らずその軀の中分(なかば)に幅率(おほむ)ね三十尺径(めぐ)り少なくも八尺乃至十尺に至るべし。

諸足は械より大きく少しく支持の力らありて歩みを進む可し。

腹は地に触れ頭は頂きが坦平(たひら)にて大桶を重累可(かさねべ)くその長さ十尺に越へたり。

両眼は大盤(おほはんぎり)の如く左右へ距(はな)れること四尺五寸きらきらとして恰も馬車の左右に付たる灯の如く全身の色は黒紫なり。

口は小家の入口のやうにて開くその舌をペロペロ出し哀れむべし彼馬を一呑に吸ひ込み即(すぐ)にボリボリ肉を噛む骨を砕く音が聞こへたれど間もなく喰ひしまひたる様子にて寂然(ひっそり)として居たが又忽ちに起上がりしゆゑ彼旅人は今度は我身が食殺される事であろうと覚悟して居たれど幸ひにして怪物は身を転(ひるが)へして旅人を顧みず再び西の方を望みて走せ去りたる跡にて旅人は九死一生を保ち暗闇乍(なが)ら荒原を蹂躙(ふみたて)その場を稍(やうや)く遁延(にげのび)たと『ヘラルド』新聞に記載てあります。

空飛び猫が逃げる

はるか蝦夷からやってきた見世物師も大弱り。

飯のタネの空飛ぶ三毛猫が逃げてしまったのだ。

イサヤお開帳の出稼はご法度だが、人間や獣の出稼は講はネー、何でも盆の十六日のお焔羅(ゑんま)さまで、お設(まうけ)せねば成らぬと此程から奥山で見せて居たる羽翼(はね)のはえた三毛猫に大夫元(たいふもと)の蝦夷イカステキ丈(ぢやう)も付き添で新宿の大宗寺に出かけ、其の帰りみち、本郷の第四方面第三署の前で堂した筈(はづ)みか金の蔓とも申すべきかの三毛猫大夫を取逃し、ソレあそこに居るドレそこに出たと追掛け廻したれど鍋島の屋敷に住たか東海道と出掛けたか更に行方しれず大夫元のイカステキはすてきに意(き)を揉み騒げどもニャンの甲斐(かひ)さへなくなくも、絞りの浴衣を涙に濡らすばかりなり比の蝦夷は浅草新福富町(あさくさしんふくとみてう)の星野長吉(ほしのてうきち)に寄留していると申すこと。